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  <title type="text">告白</title>
  <subtitle type="html">養母の凄い人生</subtitle>
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  <author><name>かこ</name></author>
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    <published>2013-03-15T21:33:58+09:00</published> 
    <updated>2013-03-15T21:33:58+09:00</updated> 
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    <title>ご先祖に誓って</title>
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      <![CDATA[　　高２の学校祭が終わった秋のことでした。家に帰ると母が「男の人から手紙が来ているよ。仏壇に上げてあるから心にやましい事が無かったらおばぁちゃんに誓ってから読みなさい」と言うのです、差出人を見ると市内の男子校の学校祭で案内をしてくれた男の子でした。母に事情を話して中身を読んでいるうちに心臓がドキドキしてきました、そんな私の様子を不審に思った母が手紙を見せなさいと言ったので手渡すとそれを少し読んで顔色を変えて怒りだしました。正直いってその内容には当の私もびっくりで学校祭で会ったのが初対面にもかかわらず、「お前」とか「一目惚れした」「俺の女になって」などと言う言葉が羅列されているのです。当然のことながらひどく叱られそれからの文通はもちろんのこと彼に会うことは禁止されました。今考えると娘に来た始めてのラブレターに母の嬉しさや不安の表れが仏壇にお供えしてご先祖様に無事、年頃になった事を報告したのでしょう。きっと仏壇を気にしながら私の帰宅を今か今かと待ちわびていたことでしょう。<br />
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            <name>かこ</name>
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    <published>2013-03-14T15:21:43+09:00</published> 
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    <title>痴漢</title>
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      <![CDATA[　自分の身体のことで頭がいっぱいだった母ですが、ある日私が度々痴漢に遭っている事を話すと「それはアンタがボーッとした顔をして歩いているからなの、背筋をぴんとしてキビキビと歩きなさい、スキだらけだから変な男が寄ってくるんだ、男好きのするタイプなんだからこれから気を付けるんだね」と、その時は普通に聞いていたのですが後になってあのような言い方は素人は絶対にしないと思います。通学電車の停留所に行く途中の橋に近づくとその痴漢は出てきます、制服で素性は分かっていたのですが、市内の私立高校付属の中学生でした。いつも待ち伏せをしているらしく何処からともなく出てきて私の胸を揉むように触ってサーッと逃げて行くのです。手加減も無くその痛さにかなり辛い思いをしました。その道を通って橋を渡らなければ電車に乗る事が出来ないので毎日が泣きたい思いでしたが間もなく定期代が少々高くつくのですが母が豊平方面から電車に乗れるようにしてくれましたので本当に感謝しました。今の時代でしたら迷惑防止条例ができており相手の学校まで判っているのですからそのままにはしておかないと思うのですが女子の立場が弱かったのでしょうか、痴漢に遭ったぐらいでは警察に届けたり相手の学校に訴えることなど誰もしませんでした。<br />
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            <name>かこ</name>
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    <published>2013-02-20T08:01:16+09:00</published> 
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    <title>忍び寄る病魔</title>
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      <![CDATA[　母は本当に父の事が好きだったのだと思います。父が帰宅すると学校給食の手伝いに来ていた奥さんたちに嫉妬したふりをして「女の匂いがする」と言ってカバンを受け取ると背広に鼻を押し付けて甘えるのでそれを見ている私たち姉妹はよく母を冷やかしたものです。あの時代に子供たちの前であのようにイチャツク親も珍しいと思います。春から秋にかけては朝起きると二人で猫の額と言っていた狭い10坪ほどの庭に出て草木の芽が出たとかいつ頃になったら花が咲くとか言いながら朝食前に草を取ったりして畑で一仕事するのが日課でした。<br />
そんな平和な日々が3年ほど続いたでしょうか、母の体調は少しずつ弱っていきあれほど嫌がっていたのですが、ついに手術する覚悟をしたようです。子宮筋腫の摘出をこれ以上延ばせなくなったのです。私が高２になって間もなく母は札幌医大で手術をする事になりました。家族にとって手術をするということは大変恐ろしい事でした。私は姉ともしこのまま母が家に帰ってこれなくなったらどうしようと毎日話し合いました。姉は最初に学校推薦で働いた学校近くの市場の中にある食料品店の店員をしておりました、その頃私がアルバイトをしたくて姉と一緒に働かせてもらったのですが、その職場を見てがっかりしたのです。まさか母があんなにも苦労をして中学校から一貫して私立の女子高に通わせ習い物もさまざまさせてそれが市場の中の食品店の店員？と子供ながら不条理を感じずにはいられなかったのです。姉の成績が悪くて他に就職できなかったわけではありません。そんな思いを抱いている私に姉は気づいていました。一緒にアルバイトに通った時に電車賃が無く3キロほどの距離を二人で歩いた事もありました、夏休みの暑い日でしたが小さい頃に母から聞いたおばあちゃんと小樽から札幌まで歩いた話を思い出し汗を拭きながら黙々と歩きました。やはり姉も今の職場は嫌だったのでしょう、事務の仕事を探しをしていると言っていたのですが間もなく姉はそこを辞め、亡くなった兄が働いていた家の近くに九州に本社のあるゴム製品の製造会社の事務員の仕事が決まり私たちは安心したのも束の間でしたが母の手術がきまった時には今までの職場と違って通勤時間が短いしお給料も高いしまた近所なので何かにつけて良いことずくめで本当に良かったと思いました。しかし母が入院となると私たちの不安は募るばかりでした。<br />
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            <name>かこ</name>
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    <published>2013-01-09T22:21:30+09:00</published> 
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    <title>水汲み</title>
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      <![CDATA[　水汲みと言うとよくテレビで見るアフリカの乾燥地帯を想像しますが、昭和30年頃わが家はまだ手押しポンプで地下水を汲み上げていました、水道管は近くまで引き込まれていたのが隣り近所もまだ半分ぐらいがポンプでした。我が家は工事費がないのと水が出ていたので不便な手押しポンプで我慢していたのでした。それが夏になると泥の混じった茶色い水がチョロチョロとしか出なくなり仕方がないので隣の金物屋さんのポンプから貰い水をする事になりました。やがて冬になりお隣との境には雪が積もり60センチ幅くらいの路地を毎日20リッターほどの水バケツを持って何回か往復するものですから雪が踏みしめられて硬くなりやがて氷のデコボコの通路となり滑って転ばぬように重いバケツを運んでいました。姉は学校が市内の遠くだったので帰えりが遅く、夕飯の仕度に間に合わないので私ひとりでやらねばなりませんでした、寒くて重たくて冷たくて毎日が泣きたい思いでした。そんな繰り返しをしていたある日気をつけていたのですがとうとう足を滑らせて水が18リッターほど入ったバケツもろとも転んでしまったのです。冬の氷点下の日に頭から水をかぶり尾骶骨を嫌というほど氷に打ちつけ動けなくなってしまいしばらくして家に入ったのですが内風呂がありませんでしたのでストーブにしがみ付かんばかりに冷え切った身体を暖めましたが冷え切っていたので震えが止まりません、少しでも身体を動かすと腰から背中に激痛が脳天まで走るのですがこんな時の母は甘える事を許しませんでした｢人間は気の持ち様｣だと言って寝ている事は許されず夕食の手伝いをさせられました。こんなときの母は厳しかったのですが今の私はそれで良かったと思います。昔の人は出血もしていないこれくらいのことでは病院なんて行かせて貰えませんでした。水道は私が高校卒業した昭和35年まで設置できず水が出なくなると近所から貰い水をしていました。<br />
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    <published>2013-01-07T15:09:31+09:00</published> 
    <updated>2013-01-07T15:09:31+09:00</updated> 
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    <title>借金取り2</title>
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      <![CDATA[その女性客は母の前で急にゴロリと横になり着物の裾をパッパツと直し｢胃が痛くなったから寝かせてもらいますょ！｣としばらく横になってからまた来るので約束の日に貸した金を払うようにきつく言って帰っていきました。そんな時の母は今にも泣きそうな顔で｢最初から分かっていたことだけどお父さんの月給は決まっているし借金払いなんか出来ないね｣と言うのです。その言葉は私には｢独りのときはどうにかなったのに｣と言わんばかりでした。その約束の日が近づくと姉と二人で電話をしてくるように言われ少し遠くの公衆電話のある雑貨店へ行きました。当然私は姉が電話をするのかと思っていたのですが雑貨店に着くと私に借金の言い訳の電話をするように言うのです。それまで一度も電話など触った事もなかったのにましてや借金の支払いを延ばしてもらう為の言い訳を中1の子供にさせるなんて心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキして顔はポッポとほてって大変な思いをしました。姉と私は5才違いで学年は3年上でした高校1年生だった姉は思春期真っ只中でしたので自分が電話をするのが嫌で私に押し付けたのでした。｢今日は都合が悪いのでいついつお持ちしますのでそれまで待って下さいと母が申しておりました｣とこれだけ言うのにすっかりあがってしまいとてつもない大きな声を出したらしく終わってから姉に大きな声だったので店中に聞こえて恥ずかしかったと言うのです。自分は何もしなかったくせに嫌なことはいつも私に押し付ける姉でした。]]> 
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    <published>2013-01-07T02:56:06+09:00</published> 
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    <title>借金取り１</title>
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      <![CDATA[一気に私の高校時代へと来てしまいましたが、小５の時に父が来てから少しは生活が楽になったような気がしたのですが、実態はそうではなかったのです。<br />
父が学校給食の主任をしていたお陰で給食で余ったホワイトシチュウやジャムとかパンなどを持ち帰えって来るようになりました、規則は今のように厳しくなかったようです。私は外で遊んでいても父が風呂敷包みをぶら下げて帰ってくる姿を見つけるとすぐに駆け寄っていきその手から風呂敷包みを奪い取るように受け取ると一目散に家に駆け込んでいくものですから父は｢カコは父さんが手ぶらに帰ってくると無視をする｣と言って笑われたものです。父の給料は毎月きちんと貰っていたようですが母は朝食や昼食をよく抜いていたらしくて父の持って帰った給食の残り物を武者ぶりついて食べていた事がよくあり母は父と一緒になる前に借金をしていたようでした。たぶん姉の学費や生活の為に高利貸しからの借り入れだったのでしょう。ある日のことです。上品そうな白髪頭のスラットした奥様風の人が母と話をしておりましたが次第にその方の語気が荒くなったので借金取りだと気が付きました。<br />
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    <published>2012-12-05T15:29:32+09:00</published> 
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    <title>教科書が買えない</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[私の入学式が近づいてきました。４月の札幌はまだ寒く気温は１２度もあれば暖かいほうでした。そんななか学校規定の制服や鞄やこまごまとした物を何一つ買ってもらう事が出来ません。私の頭の中は「どうするのだろう」とその事でいっぱいでした。<br />
入学式の前夜母が姉の着ていた制服の白線を外しているのです。学校によってセーラーカラーに縫い付けている白線の太さが違うのです。姉が３年間着用し色あせて赤紫に変色したセーラー服を私は着なければならない羽目になりました。こんなことになるだろうと覚悟はしていたものの新しいものは何一つとして買っては貰えずそれどころか学校規定のものすら身につける事が出来ないまま入学式に臨むことになったのです。お下がりの破れた革靴、手縫いでぶつぶつと縫いつけた白線のセーラー服、鞄はと言うと豚の一枚革を靴ヒモでざっくりと縫って手提げにしたもの、今風のファッションのような鞄を持っての通学です。皆からジロジロと見られとても恥ずかしい思いをしながらの通学でしたがそれも日が経つに連れ慣れて高校生活も楽しくなっていきました。学校も理解があり皆と違う服装にも家の事情を知って特別に許可書を出してくれました。２年生になると今度は教科書が買えないのです。あの時の衝撃といったら、いっそうの事死んでしまいたいと思ったのですが何事も時が過ぎれば何とかなるものです。教科書がそろっていても皆に勉強がついていけないのに最悪だと思ったのですが、そうではなく、教科書があっても勉強をしなかった！が正しいです。そのように考えた途端に気が楽になったのを覚えております。小さい頃から苦境で育ったためか、何とかならぬかと色々考えたり空想したりするのが好きな子でした。そして結論として授業中は先生の話をしっかり聞かねばと言う思いになりそのうちに日本史や文学など授業が段々面白くなってきたのです。「なぁんだ勉強って面白いじゃないの」と思い始めるようになって２学期の期末テストになりました。科目は忘れましたが日本文学か国語系だったと思います割と簡単にできたのです。いつもテストの結果は体育館に張り出されますがどうせ最下位に近いので見たことも無かったのですが友達が凄い事になっていると言って私の手を引っ張って体育館に連れて行くので張り出された順位表を見ると学年の上位から４,５番目に私の名前があるではありませんか、何かの間違いではないかと思い信じられなくて呆然と眺めしばらくしてわれに返りまた見るとやはり自分の名前があるのです。今でも夢か幻かと言う感じです。<br />
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    <published>2012-11-22T15:35:38+09:00</published> 
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    <title>姉の初出勤</title>
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      <![CDATA[姉は高校を卒業して就職をしました。初めてのお勤めで姉より母のほうが興奮しており身だしなみや化粧などに手を出して直したりして「もういいから」と姉にうっとうしく思われる始末です。そして家を出てほんの５,６歩あるいたのも束の間で何かにつまずいて膝をついて転んでしまったのです。見送っていた母と私はハッとして冷や汗の出る思いでした。社会人らしい服装やハンドバッグ、靴すべて母が無理をして買い揃えたものでした。その頃はナイロンの靴下は高級品だったのですが今のように丈夫ではなくて履く時は荒れた手でナイロン糸を引っ掛けない為に薄い手袋などをして履くのが一般的でした、ですから舗装もしていない地面と接触したのですからひとたまりもありません、姉の膝小僧には血がにじみ、始めてはいたナイロンのストッキングは見るも無残にズタズタに引き裂かれスカートには泥が付いた姿を見て私は何となく嫌な予感がしてそれは前途多難というか、もちろん姉のことは可哀想だと思っていました。そして時間がないと言って泣きそうな顔で姉は家を後にしました。母は「本当にお姉ちゃんは落ち着きがないから困るんだよネ、またストッキング買わなきゃ、先生が言った通り金食い虫だよ、あの子は」と言うのです。それは姉の幼かった頃は身体が弱く病院に行くと医者が｢オッ、金食い虫がまた来たナ｣と言うほどよく病院通いをしたそうです。そんな事を聞いても分かるようにちょっとしたことでも病院へ連れて行くような猫可愛がりに育てた様子が分かります。<br />
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    <published>2012-11-18T02:28:58+09:00</published> 
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    <title>合格発表</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[試験が終わってしばらくすると　あれほど気が進まなかった進学も受験をしたからには友達の目もあるし何とか受かっていれば良いという虫のいい考えに変わり発表の日は新聞が来るのが待ち遠しく、手に取るや否や合格発表の欄を食い入るようにながめるこの根性をどう表現したらよいのだろう。そして奇跡は起こった、私の名前があった新聞に私の名前が載っていた。<br />
奇声を発しながら家族に報告する私に父は｢良かったア｣と一言いって眼を閉じ、母は胸に手を当てて涙ぐみ「良かったア」と言って座り込んでしまった、私のそれまでの人生でこんなに人に喜んでもらえた事は記憶にない。これは後日談になるのですが高校３年になった４月１０日の事、この日は今の天皇陛下と美智子皇后のご成婚の日でした。なぜか当校は休校ではなく朝、通学の電車を降りると青空に花火がドーン、ドーンと響き渡っていました。前のほうを見ると親友のアッコが岡野先生と歩いているので走り寄って挨拶をすると先生が「ウーン今日は天気も良いし皇太子と美智子さんも今日はドーンドーンだな」と意味不明なことを言い｢ところで、日野、面接のとき俺はこいつは何かやってくれると思ったけれど３年生になったナ・・・何にも無かったナ｣と言うのです。面接試験の質問をしたのがこの先生でした。あまりにも物怖じしない女の子に先生は何を期待してパスさせて下さったのでしょうか。<br />
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    <published>2012-11-17T03:37:24+09:00</published> 
    <updated>2012-11-17T03:37:24+09:00</updated> 
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    <title>高校受験の日</title>
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      <![CDATA[　私の高校受験の日が来ました。３日前あたりから両親の目を気にして一応受験勉強らしきものをしたのですがその気が無いので頭では他の事を考えて徹夜をしました。その頃の札幌には私立の女子高は8校しかなく姉は上から３番目と言う評判の女子高をこの春卒業予定で私は下から２番目と言われている女子高を受験しました。高校が足りない為にその女子高の合格率は４人に一人と言われており当然私は最初からあきらめておりましたので開き直って怖いものはありませんでした。筆記試験は眠いばかりでちっとも分からないし、英語、数学は白紙に近い状態で提出し、いよいよ面接の時間が迫ってきました。面接を受ける組が４人一組と決められていきました。皆は緊張して待合室の教室ではあちらこちらでざわついて私たちの組には同級生が一人いたのですが見ると歯をガチガチ言わせて喋ることも出来ないほど振るえているのです。どうしてそんなに緊張するのか私には理解できない事でした。今思えば当時の私は相当にふてぶてしい女の子だったようです。<br />
　そしていよいよ面接が始まりました。先生が４人、私たちも４人長机を挟んで向かい合い一人一人いろいろ質問が始まり私の隣の同級生まできましたがやはり待合室に居たときと同じくガクガクと震えて答えられず、私の番が来ました先生の質問は｢どうして数学を白紙で提出したのか｣と言う事を聞かれ私は進学の意志は無く両親に説得されて３日前からやっと勉強に取り掛かり徹夜をしたので眠たくて回答が出来なかったこと、次の時間が国語だったので少しは自信があったのでそのため眠ってしまった事を臆面も無く話すと先生は｢この学校を希望校に選んだ理由は？｣というのです、私は｢両親は姉と同じ高校に行かせたかったのだが私の頭が付いていけないのでここにしました｣とまたまた臆面も無く答えたのでした。「でもここも筆記試験は答えられなかったんだよね」「はい、すみませんでした」という感じで面接は終わりました。家に帰って両親に受験の経緯を話すと二人とも口を揃えて｢こりゃだめだ｣と行ったきり後は無言でした<br />
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