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養母の凄い人生

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教科書が買えない
私の入学式が近づいてきました。4月の札幌はまだ寒く気温は12度もあれば暖かいほうでした。そんななか学校規定の制服や鞄やこまごまとした物を何一つ買ってもらう事が出来ません。私の頭の中は「どうするのだろう」とその事でいっぱいでした。
入学式の前夜母が姉の着ていた制服の白線を外しているのです。学校によってセーラーカラーに縫い付けている白線の太さが違うのです。姉が3年間着用し色あせて赤紫に変色したセーラー服を私は着なければならない羽目になりました。こんなことになるだろうと覚悟はしていたものの新しいものは何一つとして買っては貰えずそれどころか学校規定のものすら身につける事が出来ないまま入学式に臨むことになったのです。お下がりの破れた革靴、手縫いでぶつぶつと縫いつけた白線のセーラー服、鞄はと言うと豚の一枚革を靴ヒモでざっくりと縫って手提げにしたもの、今風のファッションのような鞄を持っての通学です。皆からジロジロと見られとても恥ずかしい思いをしながらの通学でしたがそれも日が経つに連れ慣れて高校生活も楽しくなっていきました。学校も理解があり皆と違う服装にも家の事情を知って特別に許可書を出してくれました。2年生になると今度は教科書が買えないのです。あの時の衝撃といったら、いっそうの事死んでしまいたいと思ったのですが何事も時が過ぎれば何とかなるものです。教科書がそろっていても皆に勉強がついていけないのに最悪だと思ったのですが、そうではなく、教科書があっても勉強をしなかった!が正しいです。そのように考えた途端に気が楽になったのを覚えております。小さい頃から苦境で育ったためか、何とかならぬかと色々考えたり空想したりするのが好きな子でした。そして結論として授業中は先生の話をしっかり聞かねばと言う思いになりそのうちに日本史や文学など授業が段々面白くなってきたのです。「なぁんだ勉強って面白いじゃないの」と思い始めるようになって2学期の期末テストになりました。科目は忘れましたが日本文学か国語系だったと思います割と簡単にできたのです。いつもテストの結果は体育館に張り出されますがどうせ最下位に近いので見たことも無かったのですが友達が凄い事になっていると言って私の手を引っ張って体育館に連れて行くので張り出された順位表を見ると学年の上位から4,5番目に私の名前があるではありませんか、何かの間違いではないかと思い信じられなくて呆然と眺めしばらくしてわれに返りまた見るとやはり自分の名前があるのです。今でも夢か幻かと言う感じです。
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