養母の凄い人生
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その6
売れっ子遊女の事を「右職(うしょく)」と言うのだそうです。
店の玄関を入ると遊女たちの写真が飾ってあって右側から売れっ子の順に並べられるそうです。ですからトキコは「いつも右職をとっていた」と私たちは自慢話を聞かされたわけです。私と姉が養女であることは必死に隠し通したのに決して自慢にならない自分の過去は「何にも悪いことはしていない」と堂々と臆面もなく話す人でした。ですから自分史を書きたいなど言い出したのでしょう。
乳飲み子を抱えながらの廓暮らしでしたが、トキコの面倒を見てくれるという男性が現れ、金銭的には潤っていたようです。
昭和15年祖母が亡くなりました。幼い姉がいるので仕事ができなくなったトキコは面倒をみてくれていた男性に見受けをしてもらい女郎家業から足を洗いました。大金がかかったそうですが地方のやくざの親分だったその男性はトキコとまだ幼かった姉をたいそう可愛がってくれました。後に養女になった私もよく映画に連れて行ってもらいました。
店の玄関を入ると遊女たちの写真が飾ってあって右側から売れっ子の順に並べられるそうです。ですからトキコは「いつも右職をとっていた」と私たちは自慢話を聞かされたわけです。私と姉が養女であることは必死に隠し通したのに決して自慢にならない自分の過去は「何にも悪いことはしていない」と堂々と臆面もなく話す人でした。ですから自分史を書きたいなど言い出したのでしょう。
乳飲み子を抱えながらの廓暮らしでしたが、トキコの面倒を見てくれるという男性が現れ、金銭的には潤っていたようです。
昭和15年祖母が亡くなりました。幼い姉がいるので仕事ができなくなったトキコは面倒をみてくれていた男性に見受けをしてもらい女郎家業から足を洗いました。大金がかかったそうですが地方のやくざの親分だったその男性はトキコとまだ幼かった姉をたいそう可愛がってくれました。後に養女になった私もよく映画に連れて行ってもらいました。
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