養母の凄い人生
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おしゃべり好きな奥さん
私達が学校に行って母が一人になると、燃料が勿体ないといって、別に眠くもないのにストーブを消して布団にもぐりこんで寝ているのですが、近所に話し好きな奥さんが居て10時頃になると毎日やって来ては、夕飯の支度までおしゃべりをしていくのです。昼には一旦帰るのですが家族に食事をさせるとまたすぐ来て私が学校から帰ってくるまでお喋りをしていくのです。客商売をしていた母は人当たりも良かったのでその奥さんは母を慕っていたようでした。
そのうち母は奥さんの家に時々醤油や味噌を借りに行くようになったのであまり無下には出来ずに居ましたが、お金も借りては返し、返してはまた借りると言った日々が続いていました。しかしある日姉と私に「毎日あの奥さんが来ている6時間あまりの間に消費する燃料代が大変だ」と言うのです。今の世の中でも北海道の1月で毎日6時間の燃料の消費量は石炭でも電気料金でも大変な金額です。「来ないで」とも言えないのでこんな冬が2・3年続いたのです。母いわく「わが家のように母子家庭で爪に火を燈すように暮らしている人間の気持ちなんか旦那が稼いでいる人には判かりゃしないんだ、だから母さんは奥様族は大嫌いなんだ、本当に無神経ったらありゃしない!」と。
女手ひとつで他人の産んだ子供たちを育てている途方もなく心の広い母としては、くだらない隣り近所の噂話や旦那の悪口など聞いている暇があったら燃料代節約の為に寝ているほうが良かったに違いない。その奥さんが来るようになってから石炭を一度買うと10日程燃やせたものが、6日で無くなると、めったに泣き言の言わない母が涙を拭いながら愚痴っていた姿を思い出します。そんな事があったせいなのか今の私は人様の御家庭にお邪魔するのは苦手ですし、狭い歩道やスーパーの通路を塞ぐようにして立ち話をしている奥さんたちを見ると昔を思い出して不愉快になります。本当に母子3人、食べていくのがぎりぎりだったのです。
不器用な母でしたが、それでも正月などは小さくなって着られなくなったセーターを解き、毛糸を湯沸かし器の湯気で糸のくせを伸ばし、毛糸を足して新しいセーターを編んでくれました。ミシンが無かったので編み物をよくやっていました。その姿をいつも見ていたせいか私も編み物とか手仕事が大好きです。
そのうち母は奥さんの家に時々醤油や味噌を借りに行くようになったのであまり無下には出来ずに居ましたが、お金も借りては返し、返してはまた借りると言った日々が続いていました。しかしある日姉と私に「毎日あの奥さんが来ている6時間あまりの間に消費する燃料代が大変だ」と言うのです。今の世の中でも北海道の1月で毎日6時間の燃料の消費量は石炭でも電気料金でも大変な金額です。「来ないで」とも言えないのでこんな冬が2・3年続いたのです。母いわく「わが家のように母子家庭で爪に火を燈すように暮らしている人間の気持ちなんか旦那が稼いでいる人には判かりゃしないんだ、だから母さんは奥様族は大嫌いなんだ、本当に無神経ったらありゃしない!」と。
女手ひとつで他人の産んだ子供たちを育てている途方もなく心の広い母としては、くだらない隣り近所の噂話や旦那の悪口など聞いている暇があったら燃料代節約の為に寝ているほうが良かったに違いない。その奥さんが来るようになってから石炭を一度買うと10日程燃やせたものが、6日で無くなると、めったに泣き言の言わない母が涙を拭いながら愚痴っていた姿を思い出します。そんな事があったせいなのか今の私は人様の御家庭にお邪魔するのは苦手ですし、狭い歩道やスーパーの通路を塞ぐようにして立ち話をしている奥さんたちを見ると昔を思い出して不愉快になります。本当に母子3人、食べていくのがぎりぎりだったのです。
不器用な母でしたが、それでも正月などは小さくなって着られなくなったセーターを解き、毛糸を湯沸かし器の湯気で糸のくせを伸ばし、毛糸を足して新しいセーターを編んでくれました。ミシンが無かったので編み物をよくやっていました。その姿をいつも見ていたせいか私も編み物とか手仕事が大好きです。
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