養母の凄い人生
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修羅場?
札幌の狸小路で母トキコと出会ってから向かった先は白石の遊郭跡で、どの建物も部屋が沢山あるので今はその部屋を利用してアパートとして現存している女郎屋も少なくなかった。その中の一つで住居兼店舗になっている1階の角を住まい3部屋と続いた店舗をトキコは借りて一杯飲み屋を女手一つでやっていた。
ぽっちゃり美人だった母の店は結構繁盛していて客が途切れることがありませんでした。もともと陽気な性格の母は酒が入ると色っぽく沖縄のユンタやその頃の流行歌をきれいな声でよく歌っていた。私が夜中に手洗いに起き、のどが渇いたので、のみ残しの牛乳と間違ってどぶろくを飲んでも「この子は将来飲兵衛になるね」などと私を止めもしないで笑って見ているおおらかな人だった。
ある日のこと私が遊びから帰ると小柄で品の良さそうなきちんと着物を着た女性客が来ていた。いつも来る昔の女郎仲間とは違うその人に向き合った母が珍しく暗い顔をして頭を垂れている。私を見ると「あっちへ行ってなさい」と言う。心配なので薄暗い奥の部屋から覗いていると、母がしきりに謝っている。そして恐ろしいことを言った「どうぞお気の済むまで叩いてください」と言いながら「奥様のお手に怪我をさせるといけませんので、、、」と、頭に手をやりヘアピンを抜き始めひざの上においた。そして「どうぞ」と言い終わるか終わらないうちにその女性は母のあたまを拳で一発なぐりつけた。この上品で華奢な人が何ということをするのだろうと私は恐ろしくなった。それからすぐにその人は綺麗なハンドバッグやショールを持ち着物の袖をひるがえして帰っていった。私が恐る恐る出ていくと母は叩かれて乱れた髪を手ぐしで結い上げ「おっかなかったかい?もう来ないから大丈夫だよ」と言った。その頃の私は、まだ母に馴染めず、「かあさん」と呼びかける子も出来ないそんな可愛い気のない私を膝の上に抱き寄せ頭をなでながら「おっかなかったでしょう?ごめんね、母さんね、一人で生活が大変だからこの間、来ていたおじさんにいろいろと相談に乗ってもらったり、お世話になっててね、そのことが、奥さんに判ってしまって、、、自分以外の女に親切にしていることが許せなかったんだって、でもかあさんはもうおじさんに会わないからあの奥さんはもう来ないよ。母さん、一人で一生懸命働くからね」と言いながら「さあ仕事々」と元気よく立ち上がり着物姿に割烹着ををかけて店に出て行った。今思えば6歳の私にそんな話をしても分かるはずがないと思うのだが、私がませていたのかおぼろげながら悟ったのがいま考えると早熟な子供だったのかも知れない。その時姉は小学校へ行っており母と二人だけの出来事だった。
ぽっちゃり美人だった母の店は結構繁盛していて客が途切れることがありませんでした。もともと陽気な性格の母は酒が入ると色っぽく沖縄のユンタやその頃の流行歌をきれいな声でよく歌っていた。私が夜中に手洗いに起き、のどが渇いたので、のみ残しの牛乳と間違ってどぶろくを飲んでも「この子は将来飲兵衛になるね」などと私を止めもしないで笑って見ているおおらかな人だった。
ある日のこと私が遊びから帰ると小柄で品の良さそうなきちんと着物を着た女性客が来ていた。いつも来る昔の女郎仲間とは違うその人に向き合った母が珍しく暗い顔をして頭を垂れている。私を見ると「あっちへ行ってなさい」と言う。心配なので薄暗い奥の部屋から覗いていると、母がしきりに謝っている。そして恐ろしいことを言った「どうぞお気の済むまで叩いてください」と言いながら「奥様のお手に怪我をさせるといけませんので、、、」と、頭に手をやりヘアピンを抜き始めひざの上においた。そして「どうぞ」と言い終わるか終わらないうちにその女性は母のあたまを拳で一発なぐりつけた。この上品で華奢な人が何ということをするのだろうと私は恐ろしくなった。それからすぐにその人は綺麗なハンドバッグやショールを持ち着物の袖をひるがえして帰っていった。私が恐る恐る出ていくと母は叩かれて乱れた髪を手ぐしで結い上げ「おっかなかったかい?もう来ないから大丈夫だよ」と言った。その頃の私は、まだ母に馴染めず、「かあさん」と呼びかける子も出来ないそんな可愛い気のない私を膝の上に抱き寄せ頭をなでながら「おっかなかったでしょう?ごめんね、母さんね、一人で生活が大変だからこの間、来ていたおじさんにいろいろと相談に乗ってもらったり、お世話になっててね、そのことが、奥さんに判ってしまって、、、自分以外の女に親切にしていることが許せなかったんだって、でもかあさんはもうおじさんに会わないからあの奥さんはもう来ないよ。母さん、一人で一生懸命働くからね」と言いながら「さあ仕事々」と元気よく立ち上がり着物姿に割烹着ををかけて店に出て行った。今思えば6歳の私にそんな話をしても分かるはずがないと思うのだが、私がませていたのかおぼろげながら悟ったのがいま考えると早熟な子供だったのかも知れない。その時姉は小学校へ行っており母と二人だけの出来事だった。
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