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養母の凄い人生

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実母との最後の日
あちらこちらとたらいまわしされているうちに母を恋しいと思う気持ちが段々薄れていきました。今は札幌の大通り公園にテレビ塔があるのですが当時はその横に豊平館と言う建物がありました。
私が札幌に住んでいた昭和42年ごろまでは中島公園のパークホテル近くに移設してありましたがその大通り公園横にあった頃の豊平館の白いサク前に置かれたベンチに私と実母と座っておりました。
何しろ4~5才の子供だったので何月だったのかは知る由も無いのですが、青空が眩しい心地よい風の吹く日でした。実母は私に真っ白いおにぎりを食べさせ口の周りについたご飯粒を指先で摘み取り自分の口に運びました。久しぶりの母との再会に気持ちが高揚していたのでしょう、私はケタケタと声を上げて笑っておりました。実の母との記憶はそこで終わっていて実母を思うときいつもその時のひっつめた髪型と面長で色白な笑顔を思い出します。その後は、また別の家に預けられました。たぶん親戚だと思いますが住まいの一角で時計屋を営む家でした。その家の主は片足が膝から下が切断されていつも胡坐をかいていて移動するときは両手を畳について自分の体を持ち上げていました。その人が時計の修理をすると私は目を凝らして飽きずにじっと見つめていました。大人になったら自分もこんな仕事をやってみたいと初めて自分の未来を思ったものでした。
この頃になると自分を取り巻く環境を外は雪景色だったとか少し先には大きな通りがあって豊平橋という橋のあることも覚えていたので多分5歳ぐらいになっていたのかもしれない。自分の過去を知ることが出来ないと言うことは実に悲しく、時にはルーツを辿りたいと真剣に思った事もありましたが、そんな暇もお金も無い人生だったので今は諦めております。そして、この時から多分あまり時期をおかずに後々に養母であり私の命の恩人でもある日野トキコと出会うことになるのです。
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