養母の凄い人生
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
誰も教えてくれない 1
これが養母との初めての出会いです。私を育ててくれた母です。家に行くと女の子が居り「あんたのお姉ちゃんだよ。仲良くするんだよ。良子ちゃん、この子があんたの妹の和江ちゃんだよ。よく面倒を見てあげて頂戴ね」と言うと姉は嬉しそうにニコニコしながら「遊ぼう」と手をとって奥の部屋に行き早速おままごとです。一人っ子で寂しかったのでしょう。
家族は母と姉そして私と女3人でした。トキコは夜になると家の一角で小さな一杯飲み屋をやっていて結構繁盛していました。酒の入った母は朗らかでちょっと色っぽく、山田五十鈴似の美人でした。
私はそんな環境のなかで何の違和感もなく毎日が楽しく過ぎ、近所の子供たちとも遊ぶようになり、実の母のことは忘れていったように思います。実母の記憶があるのは札幌のお婆さんと暮らしていた頃、母が時々きれいな色のドロップやその他食料を持ってきてくれたが、またすぐ居なくなってしまう。私はかなり気が強かったらしく、近所の男の子とよく喧嘩をして怪我をさせたりしておばあさんに柱に縛り付けられ手の甲にお灸を据えられた。
トキコにここに来るまでのことや実母のことを聞いても「山のおばさんが転々と住所を変えたので分からない」の一点張りで、その後も教えてもらえませんでした。私の出生から5歳までの事は自分の記憶を辿るしかないのです。現在、私は70歳になりますが、そろそろ物忘れもするようになり自分の事を覚えているうちにと思い母のことと同時に文書にしているのです。
家族は母と姉そして私と女3人でした。トキコは夜になると家の一角で小さな一杯飲み屋をやっていて結構繁盛していました。酒の入った母は朗らかでちょっと色っぽく、山田五十鈴似の美人でした。
私はそんな環境のなかで何の違和感もなく毎日が楽しく過ぎ、近所の子供たちとも遊ぶようになり、実の母のことは忘れていったように思います。実母の記憶があるのは札幌のお婆さんと暮らしていた頃、母が時々きれいな色のドロップやその他食料を持ってきてくれたが、またすぐ居なくなってしまう。私はかなり気が強かったらしく、近所の男の子とよく喧嘩をして怪我をさせたりしておばあさんに柱に縛り付けられ手の甲にお灸を据えられた。
トキコにここに来るまでのことや実母のことを聞いても「山のおばさんが転々と住所を変えたので分からない」の一点張りで、その後も教えてもらえませんでした。私の出生から5歳までの事は自分の記憶を辿るしかないのです。現在、私は70歳になりますが、そろそろ物忘れもするようになり自分の事を覚えているうちにと思い母のことと同時に文書にしているのです。
PR
COMMENT
TRACKBACK
トラックバックURL