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養母の凄い人生

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身を捨ててこそ
 飲み屋“とき”は客が一人も来ない日が続くようになりました。電気代にもならないと、閉店の日が多くなりました。そうなると収入が全く無くなるわけで、母は夜の仕事に出かけるようになりました。その仕事とは母の友人が家に遊びに来て茶のみ話をしているのを私が聞き耳を立てていて知ったことですがそれは客引きといって、夜の繁華街で、「いい娘がいますよ」と男性に声をかけて売春を斡旋することでした。女友達と「おばさんでいいよと言われた」などと笑い飛ばしておしました。寒い日はエンジ色の毛糸のトッパーコートを着込みスカーフを深々と被って出かけていった姿は、今でも目に焼きついて離れません。この生活は1年くらい続きましたが、いくらかゆとりが出来たのでしょうか、夜は出かけなくなりまた店を開けるようになりました。この頃の母がよく“身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある”と、自分に言い聞かせるように言っていました。必死に生きる道を探せばきっと見つかると言うことなのでしょうか。
母はまた以前のように明るさが戻ってきたようで店も少しづつ活気付いてきました。笑う門には福が来るとでも言うのでしょうか近所の中学校の先生たちがポツポツと呑みに来るようになり、その常連さんの中に当時は小使いさんと言っていたのですが中学校の用務員をしている田中さんという人がいてその人がある日この校区の小学校の給食主任をしている藤井さんという人を連れてきて母に紹介しました。それ以来、藤井さんは一人でもよく来るようになりました。田中さんと鉢合わせると「抜け駆けして、御免」などといって、楽しそうに二人は呑んでいました。藤井さんの酒量はと言うとたしなむ程度で、小柄で色白、目つきは鋭かったが品の良い紳士といった感じでした。奥の部屋にいる私たちにも「勉強しているか?」などと声をかけることもあって、藤井さんが来ると母はご機嫌が良かった。翌日は仕込みや家事も鼻歌まじりでやるようになりました。近所から出前の注文があるとまだ慣れないうちは姉妹で持ってゆきましたがそのうちお互い一人でも配達を手伝う事が出来るようになり私はお客様との挨拶や会話をするのが好きになっていきました。

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