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養母の凄い人生

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水汲み
 水汲みと言うとよくテレビで見るアフリカの乾燥地帯を想像しますが、昭和30年頃わが家はまだ手押しポンプで地下水を汲み上げていました、水道管は近くまで引き込まれていたのが隣り近所もまだ半分ぐらいがポンプでした。我が家は工事費がないのと水が出ていたので不便な手押しポンプで我慢していたのでした。それが夏になると泥の混じった茶色い水がチョロチョロとしか出なくなり仕方がないので隣の金物屋さんのポンプから貰い水をする事になりました。やがて冬になりお隣との境には雪が積もり60センチ幅くらいの路地を毎日20リッターほどの水バケツを持って何回か往復するものですから雪が踏みしめられて硬くなりやがて氷のデコボコの通路となり滑って転ばぬように重いバケツを運んでいました。姉は学校が市内の遠くだったので帰えりが遅く、夕飯の仕度に間に合わないので私ひとりでやらねばなりませんでした、寒くて重たくて冷たくて毎日が泣きたい思いでした。そんな繰り返しをしていたある日気をつけていたのですがとうとう足を滑らせて水が18リッターほど入ったバケツもろとも転んでしまったのです。冬の氷点下の日に頭から水をかぶり尾骶骨を嫌というほど氷に打ちつけ動けなくなってしまいしばらくして家に入ったのですが内風呂がありませんでしたのでストーブにしがみ付かんばかりに冷え切った身体を暖めましたが冷え切っていたので震えが止まりません、少しでも身体を動かすと腰から背中に激痛が脳天まで走るのですがこんな時の母は甘える事を許しませんでした「人間は気の持ち様」だと言って寝ている事は許されず夕食の手伝いをさせられました。こんなときの母は厳しかったのですが今の私はそれで良かったと思います。昔の人は出血もしていないこれくらいのことでは病院なんて行かせて貰えませんでした。水道は私が高校卒業した昭和35年まで設置できず水が出なくなると近所から貰い水をしていました。
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