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養母の凄い人生

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その2
 母の母,即ち祖母は福井県の出身です。その後、函館で結婚し六人の女児を出産、大正14年に旦那は病気で亡くなったのですが女手一つで上の姉二人を結婚させ、残った四人の娘を抱えて魚の行商などをしていたのですが生活が段々と苦しくなり暮らしていけなくなったそうです。そこで母は一大決心をし、末っ子とその上の子を嫁いだ娘たちに預けて、私の養母トキコとすぐ上の姉梅子と二人を連れ旦那の骨壷を持って札幌行きを決行したそうです。しかし貧乏暮らしに耐えていたためお金も底をつき、汽車賃が小樽までしか無かったのでそこで下車し、真夏の線路を札幌めざして歩いたそうですが、途中で祖母は倒れてしまい近くのお寺にお世話になりました。おかげさまで体力も回復し出発しようとした時お寺の住職さんが「この暑さの中大変でしょう。せめて骨壷だけでもここに置いて住まいが見つかったら引き取りに来なさい」と言われたので預けてきたのですが頭が朦朧としていたせいか、そのお寺がどこなのかいくら考えても思い出せずそのままになってしまったということです。
親子3人は命からがら札幌につき、残ったわずかのお金で長屋の一角を借りました。それから少し経った頃姉梅子は男をつくって出て行ったそうです。祖母がやっと稼ぎに出たものの収入は微々たるものでした。
トキコは17才になっていましたが勉強が好きだったので尋常小学校の先生の勧めで苦学生として高等女学校に進んだとのことです。女学校の外人教師宅のメードをしたそうでコーヒーの入れ方やパンの焼き方を覚えられたといつも自慢をしていました。昭和初期のことですから確かに自慢できることでしょうね 
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